【前編】「私にとってだけ、大切なモノ。自分だけに価値のあるモノを大切にしたい。」

2022年某日。

デニムを回収再生するFUKKOKU(フッコク)プロジェクトを運営するITONAMIの山脇と、 プロジェクトのパートナーとして立ち上げから関わるHUG haru.の対談が行われました。

FUKKOKUプロジェクトにかける思いや2人のモノの買い方、持ち方の価値観について、多岐に渡るトークを前編/後編でお届けします。

ぜひお楽しみください。

 

山脇:本日は2021年の立ち上げからharu.さんに関わっていただいている「FUKKOKU」プロジェクトについて、この取り組みにかける想いなど色々とお話ししていきたいと思っております、どうぞよろしくお願いします。

haru.:お願いします。

 

◆FUKKOKUについて
岡山のデニムブランド「ITONAMI(イトナミ)」が2021年から手掛けるプロジェクト。個人から不要になったデニムを回収し、倉敷紡績の技術によって反毛し再生糸に、篠原テキスタイルの技術によって新たなデニム生地として生まれ変わらせる。全国各地に連携の回収拠点を設け、オリジナル製品だけでなく各回収拠点と多数のコラボ製品を展開している。

 

山脇:まずはじめに、そもそもFUKKOKUを通じて考えていきたいことの話をしたいと思います。このプロジェクトは2021年の4月にスタートして、個人が持つ不要になったデニム製品の回収を始めました。

不要になったデニムというと、ボロボロでもう誰も身につけられないようなモノをイメージされるかもしれませんが、そんなことはなくて、まだまだ着られそうなけっこう良い状態で差し出してもらえる場合も多いんです。

僕らがお預かりしているデニムは、ただただ捨てたかったモノとかではなくて、すごい一念発起して買ったとか、永い間大切に身につけていたとか、むしろそれぞれ持ち主にとって何かしらの思い入れがあるモノが多い。

もう着ないかな、履かないかなと思っても、なんとなく捨てられなくて今まで取って置いてた。そんなモノをFUKKOKUに預けてくださる方がたくさんいらっしゃるんです。みんな、次のものづくりに活かしてもらえるなら、手放しても良いという考えだそうで。

haru.:素敵ですね。

山脇:僕自身いろんなところでデニムの回収活動をさせてもらって、そういった持ち主とモノの温かいエピソードをいっぱい聞いてきました。そういう「人がモノに持つ思い」のようなものを、プロジェクトを通じて受け取ることがあったので、これはぜひ掘り下げていきたいと。

なので、今回の対談ではそういった人とモノの関係性というか、人がモノを大事にしていくことみたいなテーマで、デニムに限らず、ざっくばらんに色んな人と考えを話し合ってみたいなあと思っております。

すみません、前置きがめちゃくちゃ長くなった笑

 

haru.さんのモノへの愛着

まず聞いてみたいのは、haru.さんにとってそういう、大事にしているモノってあるのかなということなのですが、どうですかね。

haru.:たくさんあります。私は結構モノに対して執着するタイプだと自覚していて、「多分のちのち、簡単に捨てられなくなるんだろうなあ」とわかっていながら細々したモノをよく買ってしまいます。

買うモノとしては、服だったら友達が手がけていたり、古着・ヴィンテージのモノが多いでしょうか。

伝え方が難しいですが、根本的に「モノを所持することで自分を形成する」という感覚があって、選ぶモノ自体が好きというよりも、そのモノを選び取った自分が好きみたいな感じというのでしょうか、モノを選ぶことで自分が作られていくようで、それが楽しく、子どもの頃から割と買い物したりモノを集めたり、こだわりも強かったです。

例えば、私たちの世代では、小学生のランドセルの色が女子はみんな赤、みたいななんとなくの決まりみたいなものがあって、実際周りの子たちもそうだったんだけど、、、私は黄色にしました笑 そういう細かい選択をこれまでずっとこだわってきたのかなと思っています。

山脇:「黄色を選び取った自分、やっぱイケてるな」っていうふうに思うわけですね。

haru.:そう思ってました、小さい時は。

山脇:幼少期からすごい意思の強さを感じます笑 逆に言うと、昔から「みんなと同じモノを持って安心」とかいう感覚は無かったということでしょうか。

haru.:私、多分、みんなと同じだから安心できたことが一度も無くて。別に「普通」でいたいんですよ。でも周りに合わせることは安心とはつながっていなくて。保育園のときに、きっと社会に馴染めないんだろうなって気づきました。

(子どもの頃おばあちゃんのために作ったポシェット)

山脇:早い笑

haru.:周囲にうまく馴染めなかったせいで、保育園時代がめちゃくちゃ辛かったんですよ。だからこそ「モノが私をエンパワーする」じゃないけれど、孤独な中でも身につけたり集めたモノだけが私の味方をしてくれている気がして。そんな気持ちでモノとの関係を築いてきたんだと思います。お気に入りのTシャツを着て「このTシャツ着てる時の自分はイケてるから大丈夫」と思えたりとか。

あとは工作するのが好きで、家で一人で指人形を作ったり、布でポシェットつくったり、それをお守りのように大事にしていました。私にとってそういったモノたちは「今日という日を乗り越えるための存在」だったんですね。一つ一つが本当に大切な存在でした。

もちろんその後、中学・高校時代は今よりもお金がなかったし、自由に使える範囲も狭かったのですが、でも、だからといって、妥協して買ったというか、本当に欲しいものは別にあるけど買っちゃったモノとかは、やっぱりその後の自分の人生で大事な役割を果たしてくれないことが多くて、力不足に感じてしまうんですね。

だからなるべくそういうふうに感じるものは買わないようにしようと思いながら過ごしていました。

山脇:小さい頃のharu.さんは、自分が選び取ったモノがいわば友達、仲間で、一緒にいてくれることが心強かったということなんですね。すごい。

haru.:だから一つ一つのモノにいちいちすごい愛着があるのかもしれません笑 ドイツに住んでいた時も、すっごい悲しいことがあったときに涙を拭いたティッシュをずっと取って置いたりしてて、、笑 それでオブジェとか作ってました笑

異常なくらいにモノに執着する部分があるかもしれないですね。

 

自分だけに価値のあるモノ

山脇:今の話を聞いてすごいなと思ったのが、その濡れてるティッシュって、まあいわば、haru.さんにとってしか意味がないものじゃないですか。変な言い方かもしれないですけど。それを持っている、大事にできているのがすごいことなんじゃないかって僕は思うんです。

ちょっと先走って言ってしまいますが、FUKKOKUで伝えたいことの一つに「自分にとってだけ価値のあるモノを持つ良さ」というのがあります。自分にとってだけ価値のあるモノ、すなわち、もしかしたら他の人にとっては全く不要かも知れないけれど、自分にとってだけ意味あるモノ。それがどんどん減ってきてしまっているような気がするんですね。

裏返せば、自分にとっても価値のあるモノが、他の誰かにとっても等しく価値のあるモノである、客観的な価値とでも言い換えられるのでしょうか、そんなモノを持つ機会がどんどん増えている気がしています。

(学生時代に作った“あってもなくてもいいモノ”
シリーズ。友人たちにモデルをしてもらいました)

それはなぜかというと、1つは、何かモノを買うことを決める際に触れる情報がとんでもなく多く、例えば「これを買うべき」「これが流行っている」「これを選ぶのが正しい」など、他者からの情報が処理仕切れないほどたくさん目に入ってくるから。

もちろんその情報自体が悪いというわけではなく、きちんと吟味してモノを購入すべきだとは僕も思うのですが、現代ではあまりにも「他者の意見」「他者の理由」だけでモノを選べすぎてしまうんじゃないかなあと。

もう1つの理由は、後半でも触れたいと思っているのですが、C to Cの普及によって、個人がモノを手放しやすくなっているが故に、市場価値の高いモノを購入し、市場価値をなるべく落とさない状態で売ってしまおう、という考えがかなり浸透していることです。

自分にとっては価値のあるモノだと思っていても、それが他の誰かにとっても価値あるモノでなければ良い値段で売ることはできない、ならば最初から売りやすいモノを買い売りやすく使ってやろうという考え方ですね。

上記のような考え方を否定するわけではないのですが、僕はやっぱり、人がモノを持ち、永く愛着持って使っていくことの中に、たくさんの喜びやたくさんの醍醐味があるんじゃないかなと思っていて、だからharu.さんにとっては、もうそれがずっと当たり前のように実践されてきていたというのを本当に尊敬します。

haru.:もちろん、例えばブランドものはブランドもので、紡いできた歴史が持つ品格や誰もが知っていることという価値が十分あると思うんですけど、そういった高級なモノたちと同じくらい、自分のティッシュも大事なんです。

ちょうど昨日好きなアイドルグループのライブに行ってたんですが、パイプ椅子に席番号が印字されているシールが貼ってあったんです。それって本来、ライブが終わって解体するときにゴミとして捨てちゃうじゃないですか。だから持って帰ってパソコンに貼ってます。見るたびにあのとき嬉しかったなってときめきを思い出せるじゃないですか。

つまり、自分にとって価値があるものを守り続けることは、私が自分自身を大切にすることと一緒なんだと思います。

山脇:そういえば自分にもそんな体験があったかもしれないです。どこかへ旅行に行って、思い出に残る体験をしたときのチケットを取って置いたりとか。思い出ごと自分に宿っているような。でもやっぱり過去を振り返ってみると、だんだん大人になるにつれて、徐々にそういったモノと自分自身の形成が直接結びつく感覚は薄れてきてしまっている気がして、、。

haru.:人は大人になるにつれていろんなことを経験してゆくので、新しい出来事に直面しても、過去の経験の蓄積から引っ張り出してきて対処することができる。なので目の前の小さなことにいちいち振り回されなくなってきます。わかりやすく言ってしまえば“慣れてくる”。

それは実社会を生きて抜いて行く上ですごく良いことだと思う反面、小さいころは純粋に感動できたいろんなことが、当たり前になってゆき、価値の基準が成長とともに変わってしまう。その点はちょっともったいないなあって思ってしまいます。

例えば、大人になったからこその価値基準ってあると思うんです。家や車、ブランド物など、これだけお金持ってるからこれが買えるとか、そういったことをステータスとして幸せに思う人もたくさんいるはず。

でも、私がずーっと幸せを感じてきたのって、むしろすごく小さな頃の小さなことで、人にとってゴミみたいなものが、自分にとっては宝物だった瞬間で。そこに自分がいたっていうのを一番強く感じて来たから、この価値観は年齢を重ねてもあまり変わらないんじゃないかなと。そんなことを今も思いながら日々小さいモノを収集してます笑

山脇:とても共感するのですが、haru.さんはなんでその小さな頃の小さな気持ちをずっと今も持ち続けられているんでしょうか。僕みたいにとっくにその感情を失っている人もたくさんいると思うんですよ笑

haru.:もともとそういうのが好きだと自分で認識していたのですが、もしかしたら父の影響もあるかもしれません。私の父もモノを集めるのがすごく好きで、いまだに貝殻を収集したりしています笑 父はアーティストで海の方にアトリエがあるんですが、遊びに行くとよく散歩に誘ってくれます。砂浜を一緒に歩いて、どっちが小さくて綺麗な貝殻を拾えるかを競ったりして笑

山脇:素敵ですね。 

(集めた貝殻で作ったチョーカー)

(貝殻を集める父)

haru.:父はそこで集めた貝殻を絵の作品に使ったりするんです。彼が身の回りの出来事を作品に反映させるのは昔からで、これまでも、私と妹が子どものときの誕生日会の様子や、一緒に出かけた場所の風景などがモチーフとなった父の作品をたびたび見ていて、、。

なんていうんでしょう、そういう、個人的で身近なところに価値を置いても良い、というか、そこに価値を見出している大人がずっと近くにいたことは、私の人格形成に大きく影響しているはずです。

小さいモノやことに強い想い入れを感じるところ、見る視点などは自然と父親から譲り受けたのかもしれないなあと思いました。

 

山脇のモノへの愛着

山脇:少し僕の話になってしまうのですが、高校を卒業して、本格的に自分のお金でモノを買えるような年齢になったときに、欲しいモノといえばもっぱら雑誌に載っているアイテムでした。

自分にとってそれが似合うどうか、というよりも、とにかく「これを買えば間違いない!」みたいなモノにばっかり目がいってしまって、、、雑誌とかによくそういう特集があるんですよ「大人の男の買うべきモノ100選AtoZ」みたいな笑

そのときは律儀にAから順番に買っちゃったりとかしてて、買うこと自体は楽しかったんです、それを買うことで一人前の大人になれるみたいな。今から振り返ると単なる幻想なのですが笑

当時買い集めていたモノたちは、結局、買うこと自体が目的になってしまっていたので、自分にとって持つべき理由をすぐ見失ってしまって、全然大事にできずにすぐ手放しちゃいました。買っても買っても次に欲しいモノが出てくるばかりで、持っているモノを愛せなかったんです。

そんな経験を10代後半〜20代前半のうちに経て、それ以降も、これはこういうブランドだからこれくらいの値段だなとか、こういうつくりだから幾らくらいだろうとか、そのモノが社会でどれくらいの価値があるのかを判断する力はどんどん高まっていくのですが、一方で、自分がいま何を手にするべきなのか、何が好きなのか、欲しいのか、そういったことを自分に問う力は全然育まれずに苦労しました。

haru.:今お話しくださったような体験は、それはそれで面白いことですよね。広く一般的に「良い」とされてるモノを、実際自分で買ってみて試してみるような経験は。

かつてのファッション業界の構図の中で各ブランドが考えていたことは、今よりもっともっと力の強かった雑誌という強力メディアとタッグを組んで、どれだけ流行りを生み出しモノを売ることができるか、だったと思います。ブランドという大きな供給側に対して、大きな塊としての消費者=私たちがいるイメージ。

そこから時代を経て、いまは、一個人がSNSでファッション、ライフスタイル、すなわち自分を形成するものを発信する時代。私は本当はこんなファッションを求めてるんだというメッセージを直接ブランドにも伝えやすくなっているし、小規模なブランドでも成立する可能性はぐっと高くなった。

だからやっと、私が手作りした編み物とかと同じ感覚、まあ全く同じ感覚は無いと思うんですが、それに近いような気持ちで、売られているモノを手に取ることができるというか、どこか遠いところの大きな何かから生み出されたモノばっかりではなく、自分たちの身近な存在としてのモノを購入することができる。

FUKKOKUというプロジェクトも、そういった、自分を強くしてくれるとか、これを選び取った自分が好きとか、消費者側に身近さや実感を与えてくれる機会だなと。私にとっては、小さい頃からナチュラルに自分の半径3mで出来上がっていた世界線が、外の社会の方からようやくやってきた、みたいな感覚なんです。

 

記憶を携えて生きてゆく

haru.:自分の預けた思い入れのあるものが、形を変えてまた戻ってくる。なんかそれって、自分の大切な人を亡くしたあとも、その人と生きていこうとすることとすごく似てるなと思ったんですよね。

(友人を亡くしたあと作った“survive seris”のベスト。
友人の声が無性に聴きたくなることに気づいて、録音機を縫い付けた。)

山脇:形見とかっていうことですか?

haru.:いえ、形見とかモノとしてではなくて。すごく個人的な話になるのですが、大学生のときに、親しかった友人を亡くしたんです。本当に突然のことだったので、どう向き合えばいいかもわからなくて。

当時は、なんていうんでしょう、もうその人がこの世にいないことを、忘れる、じゃないけど、忘れてまた自分の人生をやり直さなきゃいけない。そんな気持ちでした。努力して死を乗り越えようという。

ただ、時間が経つ中で感情は変わってきました。もう彼と会うことはできないけれど、でも、彼がこの世に居たことでいまの自分がある、絶対にあるから、彼と同じ時間を過ごしたことを、その事実をこれからも携えて生きていく。乗り越えるとかではなくて、それを持って生きていくみたいな感覚を得たんです。

そしてFUKKOKUというプロジェクトも、自分の記憶やモノを誰かに預けて、それが新しいモノに形を変えて、また身に纏っていくわけだから、すごく似ている部分があるなあと。

デニムを預けてくれる人、また新たなデニムを買ってくれる人、それぞれの人にとってすごくパーソナルな体験になる企画だと思っているのですが、体験はパーソナルなんだけど、完成品は一点モノじゃない、一つの型をみんなでつくりあげるという、そこのバランスが面白いなって思っています。

山脇:そうですね。持ち主ひとりひとりが、そのモノと過ごした思い出があって、その人なりの経験を持っているわけですもんね。そしてそれを集め活かす。記憶や過去を、持ってね、生きていく。

haru.:ちょっと抽象的になりますが、FUKKOKUで出来上がった一つのモノの中に、他者を感じるというか、関わったたくさんの人を想像できるんです。私が選んだモノだし、私が身につけるモノなのですが、個人を超えて周りに居る人たちのことを意識したときに、つきつめれば社会ってそういう風にできていて、自分もいろんな他者に生かされていて、だから自分ひとりが良ければいいわけじゃなくて。

そういうことが、このプロジェクトを通して、製品を手に取ってくれる人に伝わったら良いなあって考えています。

山脇:自分のデニムを預けるという意味ではあくまで個人的な体験だけど、プロジェクトに対して同じ思いを持っている人が他にもたくさんいるんだいうことを知った上で参加すると、参加者同士繋がりを感じられますもんね。

haru.:今までの話をまとめると、デニムを預ける自分がいて、そのデニムには思い出がいっぱいあって、その思い出は、誰かとの思い出かもしれないし、そうするとそこにも人がいて。みんなが預けたたくさんのデニムを集める人がいて、また糸にする人がいて、そこから形にする人、また届ける人、本当にたくさんの人のつながりをすごい感じられるプロジェクトだしプロダクトですね。その部分が一番共感します。

 

後編へ続く